2010年11月12日

上武大学駅伝部

<今日の体重>
 今朝の起床直後 65.9kg。(前日比 +0.1kg )


 昨日は あまり歩かなかったにも拘わらず、65kg台を何とか維持できた。るんるん

<昨夕のジョギング 0分( 0km )>

<今朝のウォーキング 40分

 曇り 05:40 曇り、夜明け前に雨が降ったようで道路が濡れていた。

 雨上がりの生暖かい感じで、しっかり着込んだK夫人もワイフも、「暑い」を連発していたウォーキングだった。トイレ


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 櫛部監督にふれたからには、上武大学の花田勝彦監督も。ぴかぴか(新しい)


上武大学駅伝部誕生まで
 

 それは一通のメールから始まった ―『僕たちを指導してもらえませんか』

2004年1月に現役引退を発表した花田勝彦(早大、エスビー食品)のもとに1通のメールが届いた。

 送り主は当時 陸上部のマネージャーだった小野大介。

 それは 箱根駅伝出場に向けての指導を依頼する内容であった。

 当初はメール交換による指導を行っていたが、大学からの正式な依頼を受けて、2004年4月に花田監督の下、陸上部の長距離部門が独立する形で、上武大学駅伝部が誕生した。



 その間の経緯を、高崎前橋経済新聞が詳細に伝えている。

 小野さんは「(花田さんからの)親身な返信メールを見てありがたく思ったが、どうしても有力な指導者の元で箱根を目指したい」との思いを捨てきれず、同大学の事務局長(当時)や寮母らに相談を持ちかけたところ、「理事長に話してみては。本気であれば考えてくれるだろう」と言われ、理事長室のドアをノックすることに。

 「理事長室に入って理事長に会うなんて想像したこともなかったが、率直に思いをぶつけたところ、『本学にこんなに熱い思いを持った学生がいたとはびっくりした』とバックアップを即決してくれた」(同)という。

 話はトントン拍子で進み、就任を決めた花田監督は3月に入ると同大学に足を運んで練習を見たり、選手たちが都内へ出向いたりするなどして指導を受けた。
 
 同年4月、小野さんら長距離組は陸上部から独立し駅伝部を創部、花田監督を迎えた。

 花田監督について、小野さんは「世界の舞台に立ったトップ選手は違うなと感じた。花田監督は人間的にも素晴らしく、何とか吸収しようと必死だった。
 それまでの自分たちは甘かった。食事をはじめとする日常生活から練習まで全部変えなければならなかった」と振り返る。

 現在、小野さんは出身地の茨城県に戻り、日立市のプロパンガス販売会社に務めている。


 箱根駅伝への挑戦にあたって、花田監督は「チーム作りに徹した」という。

 トップの選手を集めるのではなく、やる気のある選手を見つけて声をかけた。
 「20キロを60分 30秒そこそこで走る選手を10人集めれば箱根に出られる。理事長から外国人選手もどうかとすすめられたが、当分の間、外国人選手を入れるつもりはない」という。


 その年 10月、部員14名で臨んだ箱根駅伝 予選会では、総合19位。

 2008年10月の箱根駅伝 予選会で総合3位で予選会を突破。

 2009年 箱根駅伝初出場 総合21位(往路20位・復路20位)

 2010年 箱根駅伝 総合14位(往路14位・復路13位)


 チーム内で、1万メートルの記録28分台は 上武大学駅伝部では長谷川裕介ただ一人で、29分台が4人という陣容だから、10月の予選会は4位で突破したが、シード権獲得には まだまだ難しいチームではある。

 2011年 箱根駅伝 総合??

 上武大学駅伝部、ガンバレパンチ

 
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posted by 甘ん at 07:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | マラソン大会
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